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挑戦し続ける男。中山雅史! [選手特集!]

あぁ[たらーっ(汗)]レッズ昨日京都に敗れ3位以下が確定!
目指していた来季のアジアチャンピオンズリーグ出場できず。悔しい・・・
最近のレッズは観ていて楽しくない。
優勝争い、残留争い色々ありますけど。今日は日本一サッカーが大好きな男の記事!

J1ジュビロ磐田から戦力外通告を受けた中山雅史(41)
昨日ヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)入社から20年。
ずっとジュビロ一筋だった中山がファンに別れを告げました・・・

今年 年齢的な問題などもありジュビロ磐田から戦力外通告を受けた。
年齢は41。現役40越えの選手はゴンと三浦知良くらいだろう。

「20年このジュビロ磐田でプレーしここで終わるのが綺麗な終わり方。」
そう語った中山。しかし彼はサッカーがうまくなりたい。
その思いは今も変わらず現役にこだわった。

そして昨日ヤマハスタジアムでの最後の試合今季リーグ戦初出場を果たした。
わずか10分の出場ながらどん欲にゴール前に走る中山らしいプレーを出した。
この試合で42歳2ヶ月5日での出場はラモス瑠偉の持つ
出場者最年長記録(41歳9ヶ月5日)を抜いてJリーグ新記録を樹立。

ワールドカップ2度出場、Jリーグ最優秀選手、得点王、ベストイレブン、
数々の経験をしてきた中山。
42歳になる来年はどのチームでピッチを走り回っているのだろうか。


昨日は感動しましたよテレビで観ていて・・・[もうやだ~(悲しい顔)]

僕が一番最初に好きになったサッカー選手なんです!

2002年かな?まだあまりサッカー分からない時期でした。
その時Jリーグで29試合で16得点の活躍。そして日韓ワールドカップ出場。
日韓ワールドカップでは中山を一番に応援していましたから!
中山のプレーは本当に僕の中で刺激的でカッコいいと素直に思ってました。

最後まであきらめない!ボールを追い続ける!魂全開のエースでした。
僕もあの時小学生で見習って頑張ってました。

岡崎とか中山に似てるとか言われてるけどあれは中山しか出来ないと思う。
彼しかできないプレースタイルな気がする。


来季はもう42。移籍先はまだ未定ですけど三浦知良の所属している
J2の横浜FCへの移籍が決定的とか?
これが実現したら10年ぶりのコンビ復活!日本サッカーを引っ張ってきた
二人がまた2トップとして復活!?

中山雅史が41で三浦知良が42。二人合わせて83歳のコンビ!

また、全力でピッチを駆け抜ける中山雅史が観れるのは嬉しい事です。
これからも応援してます!

挑戦を続けるゴン中山!!頑張れ[exclamation×2]
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MF 7〜Tsukasa UMESAKI〜7 [選手特集!]

2008年は一度もやってなかったです!
僕の注目する選手を特集するコーナー[exclamation×2]

2009年一発目は今年浦和躍進のカギを握る梅崎司選手です!

梅崎司
ウメサキ ツカサ
1987年2月23日生まれ
167cm
64kg
所属チーム 浦和レッズ
MF
A代表1試合出場

2002年大分トリニータユースへ入団した梅崎司。
しかし入団当時は出場機会を得ることができず。
2005年ようやくトップチームに上がり3試合出場しJリーグデビューを飾る。
才能が発揮したのは2006年。シーズン途中からレギュラーとして活躍。
8月には当時日本代表監督であったイビチャ・オシムの目に留まりトップチームに昇格して
わずか1年後にA代表に招集される。9月6日イエメン戦でデビューを飾る。

2006年大分でレギュラーを取った梅崎だが2007年フランス2部の
グルノーブルへ期限付き移籍を決める。
初の海外挑戦であったがわずか5試合の出場にとどまった。
期限付き移籍の期間を過ぎてJリーグ復帰。
大分に復帰ではなく浦和レッズへ移籍を決めた。

2008年浦和レッズに移籍するものの厳しいポジション争いが待っていた。
なかなか出場機会を得ることができず・・・リーグ戦1得点でシーズンを終えた。
試合にあまり出れない事から北京五輪日本代表のメンバーからも落選。

彼のプレースタイルはスピードを活かしたドリブルだ。
右利きながらも左サイドを本職とする左サイドハーフの選手。
スピードだけではなくサイド、トップ下、FW、攻撃的ポジションならどこでもこなす
ユーティリティ性を持っている選手。

浦和に移籍してからはなかなか彼の持ち味が活かされなかった。

そして2009年。浦和に移籍し2年目。背番号も21から7に変わり新しい梅崎司となる。
新監督フィンケは積極的に若手を起用する事を名言。
もちろん梅崎に寄せる期待も高い。
今年こそは梅崎の良さを思う存分発揮できるのだろうか?



梅崎を使わないのは本当にもったいない!昨年はそう感じる事が多かった。
「え?ここで梅崎じゃないの?」っていう所結構ありましたね。

浦和のサイド選手は山田、平川、相馬、三都主と豪華メンバーですからね。
なかなか選手の使い方も難しいと思うんですけど・・・
昨年は三都主が怪我で離脱し相馬が左サイド。そして痛手となったのはポンテの絶不調。
怪我でスタートが遅れたのだがなかなか万全なコンディションを維持できず・・・
 
梅崎はサイドもできるけどトップ下でも面白い選手だと思うんだけどなー
結果論ですけどポンテが復帰して全く動きにキレが無かったんだから梅崎を使えば・・・

しかし!今年は期待してます!監督も変わりまして梅崎にかかる期待も高いです。
若手を上手く使いベテランと融合!これができればかなり良いチームになるはず。

今年こそは梅崎のスピード、そして攻撃力がレッズを救うと思います。
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FW21〜WASHINGTON〜21 [選手特集!]

初の外国人選手の特集です!レッズ退団が決まったのワシントンの特集!
第14弾目!

ワシントン・ステカネロ・セルクエイラ
1975年4月1日生まれ
189cm
88kg
諸属チーム 浦和レッドダイヤモンズ(フルミネンセ移籍決定)
FW
A代表10試合出場
3得点

1975年ブラジル・リオグランデドスール州カシアスで生まれたワシントン。

プレースタイルは大柄な体格を活かしたヘディング、そして決定力。
万能的なエースストライカー。

1991年はブラジルリーグのカシアスでプレーを続けるものの出場機会が得られない
ワシントン。
1997年ではクラブワールドカップにも出場した事のあるインテルナシオルに渡った経験もある。
1999年はパラナ・クルーベで20試合出場し10得点と徐々に活躍を見せる。
2000年はポンチ・プレッタにてレギュラーの座をつかむ。
1年目23試合出場し16得点。
2年目も18得点とブラジルリーグで得点王に輝く活躍を見せる。

活躍が評価され2002年トルコリーグ。
現在ジーコ監督が指揮をしているフェネルバクチェへ移籍を決める。
トルコの強豪クラブへ移籍したワシントン。2002年シーズンは12試合出場し
9得点するものの優勝はできず。2003年は出場機会が与えられずブラジルへ戻る。

2004年初のチームアトレチコに移籍するワシントン。
アトレチコは現在Jリーグで活躍しているルーカス(FC東京)シジクレイ(ガンバ大阪)
も在籍していた事も。
このアトレチコでワシントン自身最高の活躍を見せる。38出場し34得点を取る!

アトレチコで成功した次の年Jリーグへ・・・

2005年当時J1に所属していた東京ヴェルディ1969に移籍を決める。
初の日本でのプレーとなった。

Jリーグではデビュー戦からいきなりゴールを挙げる活躍を見せる。
ワシントン自身リーグ33試合出場し22得点、天皇杯5試合出場5得点と活躍を見せるもののチームの調子が悪くJ2降格が決まる。

2006年。Jリーグ強豪クラブ浦和レッドダイヤモンズに移籍を果たす。
ちなみにワシントンの在籍していた2005年ヴェルディが浦和レッズに0−7
で大敗している。

2006年は浦和レッズのリーグ優勝に大きく貢献。
リーグではヴェルディ時代を上回る26試合出場26得点でJリーグ得点王を取る。
リーグだけでなくナビスコ6試合で9得点、天皇杯2試合で3得点とヴェルディ時代とは違う
活躍を見せていた。

レッズ2年目の2007年ではリーグ26試合出場し16得点をあげる。
リーグ得点は去年と比べて衰えたものの初のアジアチャンピオンズリーグにも出場。
ワシントンは1得点をあげた。

そして初のクラブワールドカップにも挑戦。
準々決勝でのセパハン戦では自らのゴールで勝利に導く。

準決勝のACミラン戦では惜しいシュートも見せるものの敗れた。
しかし浦和レッズを世界に見せる事が出来た。
試合終了後カカとのユニフォームの交換する姿は印象的だった。

12月16日。ワシントン浦和レッズ最後の試合。
エトワール・サヘルとの三位決定戦では自ら2ゴールをあげ最後の試合で
サポーターへ恩返しとなる得点を決めてチームの勝利に大きく貢献。


一方ブラジル代表では10試合出場し3得点あげている。
コンフェデレーションズカップ2001ではブラジル代表として出場。
日本とも試合をしている。

レッズで数多くの活躍をしたワシントン。

しかし・・・2007年レッズの監督ホルガー・オジェックと相性が合わず、
選手交代の時に監督に激怒、監督批判などが原因で浦和レッズは2008年
ワシントンと契約しない事を決めた。

そして12日ブラジルの名門チームフルミネンセへの移籍を決めた。

ワシントンは「浦和レッズに残りたい気持ちはある。浦和のものでないのなら
他のユニフォームを着てJリーグでプレーを続けていく気はない。」

と語る。

浦和レッズに数々の伝説を作ったワシントン。
フルミネンセでの活躍が期待されるエースである!

ワシントン2年間ありがとう!!


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FW19〜Naohiro TAKAHARA〜19 [選手特集!]

リクエスト来ましたのでやります!少し遅れてごめんなさい。
いや〜やっぱりリクエスト来ると良いもんですね。
書きがいがありますよ。

13弾目です!ドイツでプレーする日本のロナウド!?とも言われた事のある。
高原直泰特集。


高原直泰
タカハラ ナオヒロ
1976年6月4日生まれ
181cm
77kg
諸属チーム フランクフルト/ドイツ・ブンデスリーガ
FW
A代表53試合出場
23得点(歴代6位)

高校サッカーの名門静岡県立清水東高等学校卒業の高原。
1995年から1997年の3年間高校でサッカーをしていた高原。
チームの中では人一倍身長が高く大型FWとして名の知れている選手であった。

1994年もう17歳の頃からU−17日本代表に選出されており、
世界との試合を経験。95年はまだ高校生ながらもFIFA U−17世界選手権に出場。

1998年にジュビロ磐田に入団。背番号は「19」
1年目から20試合の出場を果たして5得点を稼ぎだす。
1999年は21試合で9得点を上げて早くも時期日本のエースとして呼び声があった。
98、99年もワールドユース、AFCユースなど世界大会を経験している。

2000年はまさに当たり年。
Jリーグでは初の二桁得点となる10得点をあげて実績が評価されてA代表の日本代表に招集。
デビュー戦はアジア杯予選のシンガポール戦。得点をあげる事はできなかったものの
その3日後の同じくアジア杯予選でのブルネイ戦でA代表初ゴールをあげる。
A代表だけでなくシドニーオリンピックにも出場、日本は準々決勝で敗退。
その他にも2000年はA代表としてアジアカップ2002に出場日本を見事優勝に導いた。
ベスト11も受賞した。(ベスト11は名波浩と中村俊輔も受賞)

2001年は高原にとって挑戦の年となる。
ジュビロ磐田を離れてアルゼンチンで有名のチーム「ボカ・ジュニアーズ」の移籍を決める。
ボカ・ジュニアーズはマラドーナもプレーしていたチーム。
リーグ優勝回数は23回を誇る名門。

高原の移籍した2001年はリーグ優勝が出来ず高原自身6試合の出場で1ゴールに
とどまった。

2002年再びジュビロ磐田に戻り27試合出場し26得点と驚異的な活躍を見せる。
Jリーグ最優秀選手。得点王。ベストイレブンをいっきに取る活躍を見せる。
最優秀選手、得点王は史上最年少での受賞。

しかし・・・

この年は日韓ワールドカップ。高原は直前にエコノミークラス症候群を発祥して
メンバーには入らず。結果を出していただけに残念な結果となる。

ワールドカップ後高原は再び海外へ移籍する事を決断。
ドイツ・ブンデスリーガのチーム「ハンブルガーSV」へ移籍する事を決める。

2002年から16試合に出場し3得点をあげる。
しかしレギュラーの位置を獲得する事はできずにいた。

2003年は29試合も出場するものの2得点の活躍に終わり。
またもや海外移籍は失敗かと思われたが次の年の2004年は31試合出場し7得点と
レギュラーの位置をたもつ。

2005ー2006年シーズンは28試合で1得点と不発に終わりこの年で退団を決める。

2006年は日本の3度目のワールドカップであるドイツワールドカップが開幕。
高原は海外で活躍する一方ジーコ日本でも数多くの試合に出場。
ドイツワールドカップメンバー入りも果たして初のワールドカップ。
直前の親善試合ドイツ戦で2ゴールの活躍を見せるが本戦では持ち味が発揮できず
2試合先発するものの無得点で日本はグループリーグ敗退が決まる。

ワールドカップ後はハンブルガーSVから「フランクフルト」へと移籍する。

2006−2007シーズンは新しいチームで始まった高原。
移籍した1年目からいっきに30試合出場し11得点とレギュラーとして活躍。
2006年12月には日本人初のブンデス初ハットトリックもあげる活躍を見せる。
2007年1月シャルケ戦でシーズン公式得点を11にし中田英寿のもつ最多得点
10得点を超える。

現在もフランクフルトでプレーを続けている。

ワールドカップ後はクラブだけでなく代表でも華々しい活躍を見せる。

日本代表はジーコからオシムに監督が就任。
3月24日キリンカップで中村俊輔と共にオシム日本初招集。
高原は1得点をあげ2−0でペルーに勝利。

オシム日本初の大型タイトルアジア杯2007では初戦のカタール戦で
ゴールをあげ続くUAE戦でもゴールをあげる活躍を見せる。
合計4ゴールの活躍を見せ大会得点王輝く。

数多く世界を経験した男高原直泰。高原日本で唯一1トップをこなせる万能FWである。
中田英寿も「高原は前を向いたら強い。」と語るほど。

オシム日本でこれから数多くのタイトル、予選突破を果たすにはまだまだ
高原直泰の力が必要である事は間違いないだろう。


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FW17〜Ryouichi MAEDA〜18 [選手特集!]

選手特集!二日目!第12弾目は!
リクエストに応えて!エジプト戦で代表初ゴールをあげた
前田遼一選手の特集です!

前田遼一
マエダ リョウイチ
1981年10月9日生まれ
183cm
80kg
諸属チーム ジュビロ磐田
FW
A代表2試合出場1得点

前田遼一。2007年10月17日日本対エジプト戦で先発フル出場を飾る。
そして自身A代表2試合目の出場で早速得点を奪いチームの勝利に貢献した。

前田は高校サッカー時代は曉星高校でプレーをしていた。
その他にも国体選抜メンバー、U−18など数多くの所でサッカーをしていた
選手と言えるであろう。

国体時代は田中達也と共にプレーをしていた事も。
高校2年生での総体では準々決勝で当時玉田圭司率いる習志野高校に敗れ敗退。

当時は頭も良く慶応義塾大学並みの実力者とか・・・

しかし前田は学力よりサッカーを優先し2000年ジュビロ磐田に入団。
1年目はリーグ戦出場1回のみと厳しい中で2年目は9試合の出場ながら
2ゴールを上げる。ナビスコでも5試合出場し1得点。天皇杯2試合出場し1得点。
と徐々に力を見せて行く前田。

しかし3年目の2002年は4試合の出場にとどまりリーグ戦ゴール0。
天皇杯の1ゴールのみで終わった。

だが4年目の2003年から一気に28試合出場し7ゴールをマーク。
その後はジュビロのレギュラーとして活躍。
5年目には8得点、6年目には12得点、7年目には15得点と徐々にゴール数を
上げている。

今年2007年は怪我から復帰し16試合出場し9得点と佐藤と並ぶゴール数である。

一方代表では縁がなく・・・アテネ五輪では最終メンバーで落選しアテネ五輪の
出場はなくなった。
その後A代表とは無縁に地味に着々とジュビロ磐田で活躍を続ける。

そして2007年8月22日オシム日本で前田遼一がついに招集された。
大久保嘉人と共に初のオシム日本。
22日カメルーン戦では先発出場したものの不発に終わる・・・

その後の欧州遠征ではメンバーから外れたものの2007年最後のオシム日本の試合
エジプト戦で再び大久保と出場し自身代表初ゴールを上げる。

前田の強さは前を向いてからの強さ。そしてボールキープが見どころの1つ。
中盤としても見れて正確なパス能力も持っている。
前田は海外組の高原と言っても過言ではない選手の一人であるだろう。

次は南アフリカワールドカップ予選。前田のA代表はまだ始まったばかり。
今後の活躍に多いに期待したい。


明日はレッズ運命の一戦AFCアジアチャンピオンズリーグ準決勝第2戦!
ホームで城南一和との一戦!午後7時30分キックオフ!!

本当はレッズの試合前日なので、そこを書こうと思いましたが予告してしまったので、
前田を書きました。レッズの記事期待していた人ごめんなさい。


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FW16〜Yoshito OKUBO〜13 [選手特集!]

5月以来!!
選手特集です!!お久しぶり(笑)
今日はもちろん!今ノリノリの大久保嘉人選手の特集です!
今日から2日連続選手特集を実施!1日目は大久保。明日は前田遼一。

リクエストがありましたので実施します。
特集してほしい選手がいたらどんどん言ってくださいね。
リクエストにはできるだけ、応えます。引退した選手でもOKです!
でも試合に出てない選手は無理ですよ。

☆今までの特集選手☆

中村俊輔(セルティック)
松井大輔(ルマン)
三都主アレサンドロ(ザルツブルク)
中田英寿(引退記事)
玉田圭司(名古屋グランパス)
阿部勇樹(浦和レッズ)
田中達也(浦和レッズ)
川口能活(ジュビロ磐田)
中村憲剛(川崎フロンターレ)
小笠原満男(鹿島アントラーズ)

11弾目は前回のエジプト戦で2ゴールの活躍をあげた
大久保嘉人。

大久保嘉人
オオクボ ヨシト
1982年6月9日生まれ
170cm
73kg
諸属チーム ヴィッセル神戸
FW/MF
A代表出場21試合
2得点

平山など名選手を生み出した高校サッカーの名門チーム
国見高校卒業の大久保。
2001年からJリーグチームセレッソ大阪に所属する。
1年目は20試合出場するものの2ゴールと不完全燃焼に終わる。
しかし2002年にいっきに才能が開花18得点をたたき出す。
2003年も16得点とコンスタントにゴールを決めて行く。

2003年。その成績が評価されてジーコ日本入りを果たす。
しかし代表ではなかなかゴールを奪えない日々が続く。
A代表でもっとも悪い意味で大久保を見せてしまった試合が1つある。
2003年東アジアサッカー選手権である。
ホームでの試合は最終戦韓国戦で優勝が決まる試合で大久保は先発出場する。
しかし前半18分大久保のシュミレーションプレーで2枚目のイエローカードが
出されて退場。
あまりにも早い退場で大久保は退場処分となる。

もうその時から大久保は代表戦に多く出場していて結果が残せていなかった。
リーグではその年絶好調ながら代表で得点が奪えず・・・悔しさはレッドカードを生んだ形となる。

大久保はその試合後からジーコ日本から離れる事となった。

2004年。日本がアジア杯で優勝していたちょうどその時。
大久保はU−22での日本代表としてアテネオリンピックに出場していた。
この時の世代は今の代表を支えている選手が多い。
田中達也、高松大樹、阿部勇樹、田中マルクス闘莉王などだ。
その中で大久保はアテネオリンピックメンバー入りを果たした。
この年でのFWは高松大樹、田中達也、平山相太、大久保嘉人の4名。

初戦のパラグアイ戦。日本は絶対に勝ちたい初戦先発メンバーに大久保は立っていた。

大久保は自らゴールを上げて実力を世界に証明するものの試合は3−4で惜敗。
第2戦目。負けたら敗退のイタリア戦も大久保は先発フル出場果たすも
ゴールできず2−3で敗れ日本のグループリーグ敗退が決まった。

そして最後の一戦ガーナ戦。既に消化試合ではあったが大久保は最終戦も1ゴール。
試合も1−0でアテネオリンピックで初勝利を上げた。

結果はグループリーグ敗退となったが大久保アテネオリンピックで2得点を上げて。
この五輪で世界に実力を証明したに違いない。

アテネ五輪の後はしばらくジーコ日本での出場は無く大久保はJリーグから海外に場所を移す。
そこはスペイン・リーガエスパニョーラだ。
大久保は当時リーガにはロナウド、ジダン、フィーゴ、ロナウジーニョ、メッシ。
など数多くの世界プレーヤーのいるリーグに場所を移したのである。
(ロナウジーニョ、メッシは現在も所属)

チームはマジョルカ。マジョルカは降格争いをしていて大久保は救世主として期待されていた。
そしてデビュー戦。いきなり大久保を力を見せつける。
デポルティボとの一戦で1ゴール1アシスト。勝利はできなかったものの2−2の引き分け。
この結果はデビュー戦にしてはすごい活躍を見せる。
終盤でも貴重なゴールを奪い海外1年目は13試合出場し3得点で
マジョルカを降格の危機から救った。

海外2年目。カップ戦でも初ゴールを奪うなど活躍する面も見せていたが、
試合出場回数が26試合と増えているのだが2ゴールと去年の勢いが見えない。
大久保はマジョルカ2年目で退団する事を決める。
大久保のマジョルカでの成績は39試合で5得点という成績で終える。

2005年。マジョルカにいる間にドイツワールドカップまで1年となった時期。
10月の海外遠征で大久保が再びジーコ日本入りを果たす。
ラトビアとの一戦後半20分に出場し積極的にゴールを狙うも得点奪えず。
代表でのノーゴール記録は続く。

2006年大久保は再びセレッソ大阪に復帰。
21試合出場し6得点上げるもののセレッソ大阪はJ2降格が決まる。

それを期に2007年からヴィッセル神戸に移籍を果たす。

当分代表から遠ざかっていた大久保だが2007年は当たり年だった。
日本代表監督にイビチャ・オシム就任。最初は大久保が呼ばれる事はなかったが
2007年での彼の活躍はすごい物であった。
Jリーグヴィッセル神戸で26試合出場し14得点。現在日本人得点王の活躍。
そこが評価されてついに2007年8月22日に日本代表復帰を果たす。
カメルーン戦では田中、前田、大久保と3トップの形で観客を沸かした。
動きとしては良い物でオシムは「ハーフタイムに代えようとしたけど、前半良かったから使った。」
と評価も高い物を得た。

しかし9月の欧州遠征には招集されず・・・

そしてオシム日本今年最後の試合10月17日エジプト戦で代表復帰を果たす。
大久保は前田と2トップで先発出場。
前半21分。念願のA代表初ゴールは強烈なミドルシュートであった。
大久保は歓びを爆発させて喜ぶ。
大久保は1点だけじゃ物足りない・・・42分にセットプレーから今日2ゴール目を奪う。
ゴールだけじゃなく中盤からのリズムを作り、守備でも貢献。
チームも4−1で今年最後の試合を勝利で終えた。

A代表出場21試合目でやっと初ゴール。決して褒める数字ではない「21」
しかしエジプト戦で見せた大久保の輝き。
次は南アフリカワールドカップ予選でどう見せれるか?
そしてオシム日本のレギュラーとして躍動し続けるのか?
大久保の旅は10月17日から始まったと言っても良いだろう。


明日は前田遼一!


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MF 10~ShunsukeNAKAMURA~25 [選手特集!]

選手特集久々!第10弾は日本で最も10番が似合う男

中 村 俊 輔 特集です!
実は前制作した覚えがあるのですけど、
何か消してしまった覚えがある・・・
まぁそれはともかく。
俊輔特集スタート!

中村俊輔
ナカムラシュンスケ
1978年6月24日生まれ
178cm
70kg
所属チーム セルティック(スコットランド)
MF
代表64試合出場
16得点(歴代10位)

兄の影響を受けて小学校入学と同時にサッカーを始めた中村。
中村は中学時代横浜Fマリノスジュニアユースに所属。
大きな活躍を果たしたが、結局ユースにあがる事ができなかった。
それは背が低くて他の選手と力負けをしている。という理由だった。
高校では桐光学園に入学。高校サッカー優勝を果たすと同時に
3年ではU-20日本代表アジアユースに高校生で選ばれた。
1997年に横浜Fマリノスに入団しチームの主力選手として活躍。
その後U-23代表に招集され、2000年のシドニーオリンピックに主力として出場し、アメリカ戦でアシストを決めるなどベスト8進出に大きく貢献。
2000年JリーグMVPも受賞した。

2002年日韓ワールドカップメンバー入りが有力視されていたが
トルシエが俊輔の名を呼ぶ事はなかった。
中村俊輔日韓ワールドカップ落選。大きく日本でも報道された。
この時俊輔はこう語った。「悔しいと思ったら、また強くなれると思う。
いつか…、ワールドカップに出られなかったことが良かったと思えるくらい上手くなる。
これからの俺を見てくれ。」

中村はよくこんな事をサッカーノート、あるいわ自らの口で言う。
「目標を作らない、上へ、上へ」

ワールドカップ落選後自ら言っていたように、目標を作らず上に!
海外での挑戦を試みる。
セリエAのチーム レッジーナに2002年7月移籍を果たす。
1年目は32戦出場7ゴールをチームで活躍を果たすが2年目は16試合の出場にとどまり
2得点。最後の年は33試合出場するも2ゴールと、レッジーナでは1年目で輝きを果たすが
次がのびなかった。

日本は日韓ワールドカップベスト16で終わった。
ワールドカップ終わった後日本に新しい監督がきた。
その監督はジーコである。
ジーコは最初の試合から中村を起用した。
中村は特にジーコから絶大な信頼を得ていた。

2003年フランスでのコンフェデレーションズカップ。
中村はフランス戦で素晴らしいFKを見せる。得点だけでなくプレーでも
大きく存在感を出した。
マルセイユルーレットなども見れた。このプレーを見たジダンは「最高だ。後は入れるだけ。」
とこのプレーを評価した。

2004年アジアカップではチームの唯一の海外組、そして柱として活躍。
大会のMVPも受賞した。

2005年ドイツでコンフェデレーションズカップがあった。
俊輔は全試合先発出場。チームは敗退したがブラジル戦でのあのミドルシュートは記憶に新しい。

中村は新天地へ行く事になる。スコットランドである。
スコティッシュ・プレミアリーグの強豪チームセルティックに移籍をする。
セルティックの監督ゴードン・ストランカ監督は中村についてこう語った。
「彼は天才だ。」その言葉どうり中村は1年目からチームのレギュラーとして活躍。
1年目で6得点を記録する。

2006年セルティック2年目もスコットランドリーグ2月の月間MVPを獲得。
得点も昨年を上回る9得点。
2006年は中村は初のワールドカップ出場を果たす。
ドイツワールドカップ初戦、オーストラリア戦で日本の先制ゴールを奪うも
チームはその後逆転で敗れた。
中村はドイツワールドカップ大きな活躍できず3戦2敗1分けで初のワールドカップを終える。

ワールドカップ後の俊輔。
2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たす。
グループリーグ第1戦、アウェーでマンチェスター・ユナイテッド戦では、
フリーキックで日本人初となる得点を挙げるが2-3で敗れた。
同年11月のCL・対マンチェスター・ユナイテッド戦では再びフリーキックで得点し、
CL個人通算2得点目。
これが決勝点となり、セルティックは現行のチャンピオンズリーグとなって初、
また日本人選手としても初のチャンピオンズリーグ決勝トーナメント進出が決定した。

しかし決勝トーナメントACミラン戦では2戦合計1敗1分けで敗退。
大きな活躍は無かったが、ミランから「注意すべき選手は中村」
と警戒をされていた。

中村は初のチャンピオンズリーグを終えてこう話す。「「W杯とも全然違う。
いろんな課題が見えたし自分はまだまだ伸びる。」

その後の2007年はセルティックリーグ2連覇に大きく貢献。
そして2007年3月24日キリンチャンレジカップペルー戦でオシム日本代表に初選出。
得意のFKから全得点アシストを果たす。チームは2-0で勝利を果たす。

2006-2007シーズンの活躍は目覚しく、スコットランド・プロ選手協会が選ぶベストイレブンと
年間MVPを受賞した。
また、ダンディーユナイテッド戦のループシュートが年間ベストゴールにも選ばれている。

その時はこう語る。
「この賞は僕がセルティックの代表として受け取った。もっと上手くならないと。」

いつも挑戦し続ける中村俊輔。2010年2度目のワールドカップ。
南アフリカワールドカップを目指し彼の挑戦は止まることはないだろう。

ブラジル戦スーパーミドルシュート

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中村俊輔ゴール集

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【サッカーニュース】

・玉田右足甲骨折で全治5週間。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/headlines/20070501-00000018-kyodo_sp-spo.html

・18年ワールドカップはアジア
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/headlines/20070501-00000000-kyodo_sp-spo.html

・サビオラ「バルサに残りたい。」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20070501-00000011-spnavi-socc.html

玉田全治5週間か・・・残念・・・・
早く復帰してほしいよぉ・・・


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MF 6~YukiABE~30 [選手特集!]

田中達也以来の選手特集!

今日は代表、そしてジェフ千葉のキャプテンとして活躍する、
阿部勇樹選手の特集です。

阿部勇樹
アベユウキ
1981年9月6日生まれ
177cm
77kg
所属チーム ジェフユナイデッド千葉
MF/DF
代表11試合出場
1得点

1998年8月5日、J1リーグファーストステージ第16節 ガンバ大阪戦(万博)で
16歳と333日でJリーグデビュー。当時チームメイトであった山口智の記録を破り、
J1最年少記録を打ち立てた。日本人選手としては2003年、サンフレッチェ広島の高萩洋次郎に、
さらにJ1の日本人選手としては2004年、
東京ヴェルディ1969の森本貴幸に破られるまで最年少であった。

ジェフのユースチームはこれまで多くのJリーガーを輩出しているが、
阿部は地元千葉出身のプレーヤーということもあり、常に注目されてきた。
全国的にも、ジュニアユース時代から、その世代の代表を引っ張る選手とて
千葉では知られていた、

ユース時代からジェフでプレーしている阿部。
ジェフでは佐藤寿人の兄の佐藤勇人とともにボランチを組んでいる、
ボランチだけでもなくリベロもこなせる選手でもある、
阿部と言えばFKという印象は高いが流れの中でも得点が多い。

2005年ヤマザキナビスコカップでは、チームを初タイトルの栄冠へと導いた。
同大会ではニューヒーロー賞を受賞しているが、プロ入り通算8年目での受賞であった。
2006年のヤマザキナビスコカップも優勝し、2連覇しかしその後天皇杯ではJ2クラブの
コンサドーレ札幌に敗れ早くも姿を消した。
MFながらも得点は多く、
今季は31試合出場し10得点と上げている、ユースから育った阿部は今では
チームに欠かせない存在となっている。
今季の27節ではハットトリックと大活躍。

代表では2005年1月29日のカザフスタン戦に出場しFKなども蹴った。
その後ワールドカップメンバーには落ちたがオシム日本になり今やチームのレギュラー。
1ゴールもしている、2007年アジア杯にはおそらく出場が予想。
今後日本代表のキャプテンになる可能性もある、
U-19、U-20、U-21 、U-23アテネ五輪代表と成果を多く経験した男の次の標的は
2010年南アフリカワールドカップ。

ジェフユナイテッド市原・千葉 2005シーズンレビュー

ジェフユナイテッド市原・千葉 2005シーズンレビュー

  • 出版社/メーカー: 日活
  • 発売日: 2006/03/24
  • メディア: DVD


イビチャ・オシムの真実

イビチャ・オシムの真実

  • 作者: トム・ホーファー, 平 陽子, ゲラルト・エンツィガー
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2006/11/24
  • メディア: 単行本


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FW11〜TatsuyaTANAKA〜38 [選手特集!]

今日は浦和、そして日本のスピードスター田中達也の特集です!!

田中達也
タナカタツヤ
1982年11月27日生
167cm
63kg
所属チーム 浦和レッズ
FW/WG
代表6試合出場
1得点

小柄ながら浦和、そして代表のスピードスターとして活躍している。
1998年から2002年名門サッカーチーム帝京高校でプレー、
1998年高校サッカー選手権では準優勝、高校選抜にも選ばれた。
翌年1999年の高校サッカーではベスト8で終わったものの大会優秀選手に選ばれるなど高校時代から活躍していた。
2001年浦和レッドダイヤモンズに入った。浦和での初ゴールは5月12日の東京ヴェルディ戦。
次の年にはU-21日本代表に選出された、03年、04年もアンダー日本代表としてアテネオリンピックに出場した。

2003年ナビスコカップではニューヒーロー賞(MVP)を受賞し個人初タイトルを獲得した。

そして2005年の東アジアサッカー選手権でA代表デビュー初ゴールはその大会の初先発で出場した中国戦での豪快なミドルシュート。あれは今でも思い出せる。

しかし・・・あの10.15も忘れられない記憶として残っている、2005年10月15日柏レイソルとの1戦でDF土屋選手のタックルで右足関節脱臼骨折で全治5-6ヶ月の重傷。
その時ドイツワールドカップ行きがほぼ絶望的になった・・・
結果的に約七ヶ月後の今年Jリーグに復帰。
7月19日のJリーグ、アルビレックス新潟戦で公式戦復帰し22日の川崎戦で復活ゴールを決める!その後オシム日本となった新日本代表に選出。
トリニダードトバゴ戦、イエメン戦、サウジアラビア戦と出場し代表定着を狙う!
田中達也はFWだけではなくウィングバッグとしても期待の出来る選手、
プレースタイルは細かいドリブルでDFを抜き去りシュート、あるいわラストパスを出す。厳しい争いポジション争いをしている中天皇杯では2ゴール1アシストの活躍で存在感を出した、リーグではここ最近得点が無いので早くリーグでも得点をしたい所。
2010年ワールドカップに向けて田中達也の戦いは続く。

田中達也オフィシャルファンサイト「TRUST」
http://www009.upp.so-net.ne.jp/trust/index.htm


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DF 8~Santos Alessandro~8 [選手特集!]

今日は浦和、そして日本代表で不動の
左サイドバッグとしている三都主アレサンドロ選手を特集します!

三都主アレサンドロ
サントスアレサンドロ
1977年7月20日
178cm
72kg
所属チーム 浦和レッズ
MF/DF
85試合出場
7得点
個人タイトル
1999年最優秀選手賞、ベストイレブン、アジアカップウィナーズカップMVP

2004年に清水から浦和に移籍、清水では1999年のステージ優勝に大きく貢献、
史上最年少の22歳でJリーグMVPを獲得した。
また、1999-2000年アジアカップウイナーズカップ、2001年天皇杯優勝にも貢献した。
いつのまにか日本代表では毎試合出場。オシム日本1号の得点も三都主からだった。

三都主の持ち味と言えば抜群のスタミナとドリブルが持ち味、
裏街道というフェイントを使ってDFを抜きさする、非常に精度の高いクロスで
ジーコ日本アシスト王、現在のJリーグアシストランキングは2位と上位につけている。

初のワールドカップは2002年日韓ワールドカップ、
その時はFWとしても出場していて出場機会が少なかったが決勝トーナメントの
トルコ戦ではFKをクロスバーに当てるなど惜しいシーンなども見えた。

2002年W杯後、ジーコを監督に迎えたジーコジャパンでは左サイドバックの
レギュラーとして常時出場。3-5-2では中盤の左サイド、
4-4-2では左サイドバックと主に左サイドでの出場が多かった。
右サイドの加地とともに、ジーコジャパンのサイド攻撃の請負人であったが、
守備の面で相手チームから穴として攻められることが多く、
パスミスやインターセプトされる時が数多くあり、
又ワールドカップではプレスなどを欠ける時に欠けずと守備の面ではサポーターからは
代表不要論もあったが、ドイツW杯では、4バックの慣れない守備に追われ、
「活躍したとは言いがたい」との声もあるが、ブラジル戦での玉田へのアシストなど、
印象深いプレーを残した。
それと三都主は玉田のドイツでのゴールを全てアシスト、
まずマルタ戦での玉田のゴールも三都主のクロスから、
そしてブラジル戦でのゴールも三都主の好パスから生まれた玉田のゴールだった、
ワールドカップではハッキリ言って良くなかったのだがこのパスは印象深い物である。
三都主は守備は上手くないがその分精度の高いクロスやドリブルでサイドを
突破できる力がある分良いと思う。
オシム日本でも来年のアジア杯は出場すると思われる三都主、浦和、
代表での活躍が今後も楽しみな選手である事は間違えないだろう。

三都主アレサンドロ公式HP
http://www.alex-mania.net/alex/top.aspx

昨日の玉田ゴールのゴールガッツポーズ!


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